破壊力という言葉

「破壊力がある」という言葉を、本来の用途としてではなく主に萌え方面での強調語として目にすることが近年増えてきている。いまだに馴染めない。
強調したいという意図は分かるが、それは切ないという事なのか、扇情的だと言いたいのか、一体どのような感情を喚起させたいのか分からないため苛つく。何を伝えたいんだ、ただ流行り言葉を使いたいだけなんじゃないのか、とやり場のない不満を抱えてしまう。
書く側としてはそういう無色なところにむしろ使い勝手の良さを感じているのかも知れない。心が動かされたという事実さえあれば、その具体的な感情を言語化できなくても「破壊力」と書くだけで済ませられる。
でも読む側としては毎回もやっとしているのである。